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北大路魯山人 略年譜 ギャラリーはこちら


明治 16年
京都府愛宕郡上賀茂神社の社家北大路清操、とめの次男として生まれる。本名房次郎。
22年 6歳 福田武造の養子として入籍。武造は木版師。
26年 10歳 梅屋小学校卒業、「千坂わやくや」へ丁稚奉公。
40年 24歳 書道教授の看板をかかげ、福田鴨亭と号す。
42年 26歳 書看板・篆刻を業とし『実業之日本』『日本少年』『少女之友』等の雑誌の題字を書く。
大正 2年 30歳 このころより福田大観と号す。河路豊吉、内貴清兵衛を識る。
4年 32歳 北大路姓に復帰。山代温泉須田菁華窯にて染付、赤絵を試みる。
5年 33歳 北大路魯卿の号を用いる。
8年 36歳 中村竹四郎と共同で京橋に「大雅堂芸術店」を開店。
12年 40歳 須田菁華窯で製陶。震災で大雅堂美術店焼失。
芝公園内「花の茶屋」で美食倶楽部再開。
14年 42歳 星岡茶寮開く。
茶寮内にて「魯山人習作第1回展」(書および陶器)、以降、個展により作品を発表。
昭和 2年 44歳 北鎌倉山崎に「魯山人窯芸研究所」発足。
5年 47歳 大萱牟田洞窯、窯下窯、太平窯などを発掘・調査。
『星岡』を発刊。
13年 55歳 『雅美生活』創刊。
17年 59歳 金沢の遊部外次郎、山中の辻石斎らと漆器制作。
27年 69歳 イサム・ノグチらと備前伊部に金重陶陽を訪ね、備前焼を試みる。
『独歩』創刊。
29年 71歳 ニューヨーク近代美術館にて「魯山人展」開催。欧米各地を行脚、ピカソ、シャガールを訪問。
34年 76歳 12月21日死去。



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