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金重陶陽 略年譜 ギャラリーはこちら


明治 29年
1月3日、父、金重槙三郎、母、竹能の長男として、岡山県和気郡伊部村大字伊部(現在は備前市伊部)に化まれる。木名、勇。
43年 伊部尋常高等小学校を卒業、父について作陶を始める。おもに人物、動物、花鳥の細工物を学ぶ。
大正 5年 ルツボを製造する。耐火の棚板を作り、窯入れの形式を変える。
6年 父、楳陽の残した閑谷焼の釉薬を用いて制作する。
8年 倉敷市酒津の酒津窯で約一年間制作する。
10年 ドイツ式のマップル窯を作り、窯変の焼成に工夫を加える。同窯で虫明焼の茶器なども作る。
11年 名古屋市で永楽善五郎と共に作品展を開く。
15年 「飛獅子」の置き物を天皇陛下に献上する。
昭和 2年 窯を改造し、木炭をくべて窯変を作ることに成功する。
3年 閑谷焼「鬼瓦に鳩」の置き物を天皇陛下に献上する。
5年 土の生成法を発見し、桃山調の土味を出すことに成功する。
7年 「土」の手印を用いる。その後主として、ロクロによる茶器を作る。高松宮両殿下が備前町にお出でになった際、御前制作をする。官休庵流家元千宗守(愈好斎)来遊、手造りの茶器などを作る。
13年 東京銀座のギャラリーで作品展を開く。
14年 皿などの重ね焼で、緋襷を作ることに成功する。それがのちに「海揚り備前」の焼成と一致したことがわかる。川喜田半泥子、荒川豊蔵、三輸休雪と「からひね会」を結成する。
16年 窯の構造を変えて、画期的な成功をおさめる。半泥子の丁歳山窯をたずねて試作する。
17年 技術保存資格者に認定される。荒川豊蔵来遊、制作する。
18年 表千家流家元千宗左(即中斎)来遊。
20年 美濃大萱の荒川豊蔵の窯をたずねて試作する。
27年 手印を「ト」と改める。無形文化財(国家)に認定される。秩父宮妃殿下が金重家をたずねられる。北大賂魯山人に依頼され、備前窯を鎌倉に作る。その時魯山人の窯で釉薬ものを制作する。イサム・ノグチが魯山人と共に来遊、制作する。石黒宗麿、荒川豊蔵、加藤唐九郎、字野三吾らの在野有志と日本工芸会の設立をはかる。
29年 岡山県無形文化財に指定される。唐津の中里太郎右衛門の窯をたずねて試作する。伊豆山桃李で石黒宗麿、加藤土師萌、荒川豊蔵、加藤唐九郎らと桃李会を結成する。
31年 重要無形文化財(国家)に認定される。
32年 欧米見学。
34年 中国文化賞を受ける。
35年 山陽新聞文化賞、岡山県文化賞を受ける。岡山県文化財保護協会理事となる。備前町文化財保護委員会委員長となる。
37年 日本伝統工芸展審査員となる。
39年 ハワイ大学夏期大学講師として招かれる。
41年 紫綬褒章を受ける。ハワイ大学夏期大学講師として招かれる。
岡山で五十五周年記念展を開く。
42年 4月、天皇、皇后両陛下が備前町に行幸啓された際、御前制作
をする。勲四等旭日小綬章を受ける。11月6日歿。



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