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河井寛次郎 略年譜 ギャラリーはこちら


明治 23年
8月24日、島根県能義郡安来町(現・安来市)に生まれる。
43年 20歳 松江中学校を卒業、学校長の推薦で東京高等工業学校(現・東京工業大学)窯業科に入学。
大正 3年 24歳 技手として京都市立陶磁器試験場に入り、各種釉薬や技法の科学的研究を行う。
5年 26歳 生涯の盟友となった濱田庄司が京都市立陶磁器試験場に入所。以後、ともに研究に励む。
6年 27歳 陶磁器研究場を辞し、清水六兵衛(後の六和)の顧問となり、各種の釉薬を作る。
9年 30歳 清水六兵衛の持ち窯を譲り受け鐘渓窯と名付ける。現在は河井寛次郎記念館となっている。
昭和 元年 36歳 柳宗悦、濱田庄司、富本憲吉との連名で「日本民藝美術館設立趣意書」発表。
11年 46歳 長年の努力が実り東京駒場に日本民藝館が開館する。
12年 47歳 パリ万国博覧会で、<鉄辰砂草花図壷>がグランプリを受賞。
旧居を解体、自らの設計で実兄善左衛門を棟梁とする郷里の大工の手により自宅を新築(現・河井寛次郎記念館)。
日本民藝館が財団法人となり、理事に就任する。
32年 67歳 <白地草花絵扁壷>が、ミラノ・トリエンナーレ国際工芸展でグランプリを受賞。
41年 76歳 11月18日永眠。法名は清心院鐘渓寛仲居士。日本民藝協会葬が行われる。



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