従弟学校で絵付けを学んだ十二代は身なりなどはおかまいなしに、いつも仕事着のまま黙って乳鉢で赤絵具をすり合わせる江戸時代の職人の風貌がどこか残る人だった。古窯跡の濁手素地の陶片を手にしては赤絵の家門に生きることの厳しさをまともに背にした職人だった。器に施された地紋や花鳥文、浮き彫りされた模様などは、丁寧で優しく筆にいきおいがある。
大正の終わりから昭和にかけて多くの作品を残した十二代柿右衛門(明治十一年〜昭和三十八年)は、近代柿右衛門の復興に絶大な功績を残した人物です。引き続き困難な世相と厳しい経済状態のなかで、十一代の遺志を受け継ぎ、有田焼最盛期の柿右衛門様式色絵磁器の復興に情熱を注ぎました。
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